FGO第2部主題歌『逆光』に対する解釈と考察

 

始めに

 第1部主題歌の『色彩』が本編と密接にリンクした内容だったので『逆光』が発表されてすぐに2部本編とどのような関わりがあるのか(誰の歌なのか)考察されるのは必定だったわけですが、(本編が未完結ということもあり)どうにも不明瞭な感じなので、いったんFGO本編から切り離して『逆光』単体への理解を深めようと思って考え続けたものがおおよそ形になったので、整理がてら記事にしてみようかなと思って書きかけたものを放置してていたら2部後期主題歌なんて発表されちゃっていい加減情報も出尽くしたと思うのでなんとか書き上げました。オリュンポスまでのネタバレあり。

 

『逆光』に対する解釈

 わかりやすいように歌詞全文を載せておきます

憂鬱だった いつも目覚めると同じ天井があって

現実だって思い知らされる ここには出口がない

 

どうやって終わらせるの 完成も崩壊も永遠におとずれない物語

もう運命が決まってるなら

選べなかった未来は想像しないと誓ったはずなのに

 

まどろみの淵で私は優しい夢を見る 幻と知りながら

あなたに駆け寄って もうすぐ指がふれる

そして微笑みながら目覚めるの

 

本当に欲しいものがわからない こんなに飢えているのに

じっとしてたら過去にとらわれる どうしても行くしかない

 

人は生まれながら誰もが平等って

簡単に言えるほど無邪気じゃない

痛むのは一瞬だけ すぐに慣れてしまうわ

そう割り切れたほうがずっとラクだった

 

絶望のほとり 懐かしい人の名を叫ぶ それは遠雷のように

まだ闘ってると 嵐の向こう側にいると あなただけに届けばいい

 

沈黙を破り 障壁を越えて 眩しすぎる向こう側へ走れ

雨の洗礼と ぬかるんだ道 逆光浴びて 泥だらけになれ

私はここにいる

 

あなたに駆け寄って もうすぐ指が触れる そして選びたかった未来を

絶望のほとり 懐かしい人の名を叫ぶ それは遠雷のように

まだ闘ってると 嵐の向こう側にいると あなただけに届けばいい

 

 FGO本編とは切り離して、『逆光』単体の歌詞について順番に解説していきます。

憂鬱だった いつも目覚めると同じ天井があって
現実だって思い知らされる ここには出口がない

 「同じ天井」は眠る前と同じ状況を表していて、夢との落差への落胆と、「出口がない」=抜け出せない無力感を表現しており、だからこそ「憂鬱」なのだと思われます。

どうやって終わらせるの 完成も崩壊も永遠におとずれない物語

 「物語」はそうした日々のことで、現状に対してできることがないので、「おとずれない」(受動系)になっており、鬱屈とした毎日を送っていることがわかります。

もう運命が決まってるなら
選べなかった未来は想像しないと誓ったはずなのに

 運命が決まってる=そもそも変えようがない。ここまででどこか諦観をにじませていたのも、奇跡的に打開されていないかというすがるような気持ちだったのでしょう。
 なのでせめてもと(詮無いことだとわかっていても)夢を見てしまう。

まどろみの淵で私は優しい夢を見る 幻と知りながら
あなたに駆け寄って もうすぐ指がふれる
そして微笑みながら目覚めるの

 ここでどうして「憂鬱」なのかが明言されます。「あなた」と一緒に過ごすことができず、かつそれは覆すことができないからです。
 「まどろみの"淵"」なので覚醒に近い(意識がわりとはっきりしている)状態で、夢だと自覚していながらも「あなた」に近寄らずにはいられない。手を伸ばすけれど、あと少しで指が届くというところで目が覚める……とここまでが1番です。
 また1番は「目覚め」で始まり「目覚め」で終わっているので、1番の中でループ構造になっている=どうすることもできない日々の繰り返しを表していると思われます。

 2番は順番に見ていくとわかりにくいので、わかりやすい(Bメロ)部分から。

人は生まれながら誰もが平等って 簡単に言えるほど無邪気じゃない

 生物にとって平等なものといえば時間と死ですが、この場合は死でしょう。
 いずれ死ぬからといって、それを受け入れられるわけではないということだと思います。

痛むのは一瞬だけ すぐに慣れてしまうわ
そう割り切れたほうがずっとラクだった

 前半は「私」以外の誰かに言われた言葉でしょう。喪失感には慣れてしまえると言われても、「私」は割り切ることができない。
 そうしたことを踏まえて前段(Aメロ)の、

本当に欲しいものがわからない こんなに飢えているのに
じっとしてたら過去にとらわれる どうしても行くしかない

 「過去」とは(1番を踏まえて考えると)「あなた」の死のことであり、何もしなければ「過去にとらわれる」=動けなくなってしまうと言っています。しかし同時に「欲しいものがわからない」とも言っており、何かをしようにも、そのための理由付けを自分から見出すことができないという苦しさを抱えていることがわかります。
 「どうしても行くしかない」というのはそうした状態でも生きていくしかない「私」の思いを表しているのでしょう。

絶望のほとり 懐かしい人の名を叫ぶ それは遠雷のように
まだ闘ってると 嵐の向こう側にいると あなただけに届けばいい

 「絶望のほとり」、ほとりと言うからには水辺で、絶望とは上記の「過去」と同じく死のことだろうと考えると、これは三途の川のこちら側であると思われます。
 遠雷は遠くから音だけ聞こえる雷のことなので、姿は見えなくても声は届くようにという願いと推察できます。
 「嵐」は自分を取り巻く大変な状況のことで、「向こう側」なのは「懐かしい人=あなた」の視点を想定しているからだと思います。嵐の向こう側にいて姿が見えないから、声だけでも届くように=遠雷という表現になっているんですね。
 つまり此岸から彼岸へ向けて、『大変だけど頑張っているよ』というメッセージなわけです。
 ここらへんの解釈はコミックナタリーに掲載された坂本真綾×奈須きのこ対談(https://natalie.mu/comic/pp/maaya10)でも語られています。

画像1

 この「対岸」という表現は、「絶望のほとり」が水辺であるという認識があるからこそ出てきた言葉だと思います。

沈黙を破り 障壁を越えて 眩しすぎる向こう側へ 走れ
雨の洗礼と ぬかるんだ道 逆光浴びて 泥だらけになれ
私はここにいる

 ここだけ口調が命令形なので、ここまでの「私」視点ではないと考えられます。
 では誰の言葉なのか?
 『逆光』において明確な登場人物は「私」と「あなた」だけなので、これは「私」のメッセージを受け取った「あなた」からの返答だと思われます。

 道がぬかるむほどの雨なら結構激しく降っているはずで、その中を向こう側へ向かって走れと言っています。その向こう側には眩しい何かがあり、そこに私はいる、とも。
 激しく降る雨は嵐とも読み取れ、嵐の中を行けと言っている。これは「私」の頑張りの肯定であると考えられます。その上で、その頑張りの先には輝かしいものがあると教えてくれています。

あなたに駆け寄って もうすぐ指が触れる そして選びたかった未来を

 「まどろみの淵」ではないので、これは現実でのことなのでしょう。
 今度こそ「あなた」と一緒に、夢で見るしかなかった未来を過ごしたい「私」ですが……

絶望のほとり 懐かしい人の名を叫ぶ それは遠雷のように
まだ闘ってると 嵐の向こう側にいると あなただけに届けばいい

 「絶望のほとり」からなので、死別そのものを覆すことはできなかったのでしょう。
 しかし「私」にもう諦観はありません。なぜなら「あなた」から、今は泥だらけでもいつか報われるということを教えてもらったからです。
 自分が嵐の中で踏ん張っていることが、彼岸の「あなた」に届いていればいい。そこにそれ以上の願いはなく、ただ見守っていてほしいという思いであることが伺えます。

 

『色彩』との関係

  比較用の色彩の歌詞全文です。

ひとりになると聞こえるの 苦しいならやめていいと

ブラックホールみたいに深く

怖くて魅力的な甘い声が

 

あなたの口癖を真似て なんでもないと言ってみる

それが嘘でもかまわない 立ち続ける動機になれば

 

すべての命に終わりがあるのに

どうして人は怯え嘆くのだろう

いつかは失うと知ってるから

あたりまえの日々は何より美しい

私が視てる未来はひとつだけ

永遠など少しも欲しくはない

一秒 一瞬が愛おしい

あなたがいる世界に私も生きてる

 

私をたしなめるように 何度も同じ夢を見る

皮肉なほど綺麗な夢 目覚めさせて 逃げたくないの

 

さよならまであなたのそばにいたい

その日が明日来ても惜しくはない

私に色彩をくれた人

あなたといる世界を目に焼き付けたい

赤 青 藍 水 虹 空 色

 

私は女神になれない

誰かに祈りも捧げない

他人に何言われてもいい

大切なものが何かはわかってる

 

これ以上望むことはなんにもない

私が欲しい未来はここにある

はじめて寂しさをくれた人

ただの孤独に

価値を与えてくれたの

私が視てる未来はひとつだけ

永遠など少しも欲しくはない

一秒 一瞬が愛おしい

あなたがいる世界に私も生きてる

 

 コミックナタリーの対談(https://natalie.mu/comic/pp/maaya10)にて、きのこは以下のように発言しています。

画像2

 そうした視点で見てみると、『色彩』と『逆光』の歌詞が対照的になっていることがわかります。

 

 『色彩』では「あなた」と過ごす未来について歌っていましたが、『逆光』は「あなた」を喪った過去について歌っています。
 具体的な歌詞についても、

皮肉なほど綺麗な夢 目覚めさせて 逃げたくないの

 と逃避を拒否する『色彩』に対して、

まどろみの淵で私は優しい夢を見る 幻と知りながら

 『逆光』では自分から夢の中へ逃避していたり、

すべての命に終わりがあるのに
どうして人は怯え 嘆くのだろう
いつかは失うと知ってるから
あたりまえの日々は何より美しい

 死を当たり前に受け入れている『色彩』に対して、

人は生まれながら誰もが平等って 簡単に言えるほど無邪気じゃない
痛むのは一瞬だけ すぐに慣れてしまうわ
そう割り切れたほうがずっとラクだった

 『逆光』では死を割り切れないと言っています。

これ以上望むことはなんにもない
私が欲しい未来はここにある

 また『色彩』では充足しているのに対し、

本当に欲しいものがわからない こんなに飢えているのに

 『逆光』は飢餓感に苦しんでいるなど、多数の点で対比の構図が作られていることがわかります。

 これは「私」の言葉ではありませんが、

ひとりになると聞こえるの 苦しいならやめていいと
ブラックホールみたいに深く
怖くて魅力的な甘い声が

 と甘やかす『色彩』に対し、

沈黙を破り 障壁を越えて 眩しすぎる向こう側へ 走れ
雨の洗礼と ぬかるんだ道 逆光浴びて 泥だらけになれ

 『逆光』では苦難の道を歩むように求めています。

 そして各曲のタイトルも、色味豊かな『色彩』と『逆光』で光と影のモノクロという対照の図になっています(さすがにこれは考えすぎかもしれない)。

 

本編との対応についての考察

 以上を踏まえて2部本編との関連性を考えていきます。オリュンポスまでのネタバレあり。

・結局誰の歌なのか?

 マシュ?
 まずないでしょう。
 何よりマシュ視点である『色彩』と正反対の『逆光』は彼女の歌とは言えません。

 オルガマリー所長?
 これも違うでしょう。
 序章で退場し、オリュンポスにてついに再登場を果たした彼女はその間の語るべき物語が明示されていません。
 また彼女は末期の叫びとして自身の承認欲求を暴露しており、「本当に欲しいものがわからない」と語る『逆光』には当てはまりません(これは2部序にて同様の叫びをしたゴルドルフ所長も同様です)。

 キリシュタリア?
 ありえません。
 人理修復シミュレーションを夢ととらえることはできますが、彼はそれを「大切な思い出」とはしていても、(彼はその夢の中で大切な仲間たちを喪っており)とても「優しい夢」と形容することはできないからです。。 
 また、橋の下の少年の献身によって自身の生き方を決めた彼はすでに行く末を定めており、理由を求める『逆光』とは違います。

 では誰の歌なのか?

 対談にて坂本さんは、「あえて誰の歌とは明言しない」と言っています。

画像3

画像4

 しかし同時にきのこには「一人でがんばっている人の歌」とも言われており、「英雄と呼ばれるような人たちも普通の人だった」ともおっしゃっています。
 FGOで普通の人といえばぐだ以外にありません。

 

 オリュンポスにてアフロディーテの精神攻撃を受けたぐだはある夢を見せられます。
 そこにはパツシィ、ゲルダ、アーシャ(とその家族)(、馬)がいて、また別の場面ではカルデアで親しく過ごすマシュとオフェリア、それを見守るカルデア職員。ダ・ヴィンチちゃんがいて、シオンがいて、ゴルドルフ所長がいて、ドクターロマンがいる。
 もう会えない人と一緒に過ごすことができる、穏やかで優しい夢です。

 この夢では他にも、
 ・「代わりがいないから」とメンタルの問題をダ・ヴィンチちゃんに見せようとしない="どうしても行くしかない"
 ・胸を張るに足る自分の『答え』を見つけていない="本当に欲しいもの"
 と、『逆光』歌詞との相関を見つけることができます。

 

 去る2017年末、2部プロローグと同時にこちらのPVが公開されました。

 このPVでは2部本編にさきがけて魔術王ソロモン(声はゲーティア)からぐだへのメッセージという体裁を取っています。
 ソロモンの物言いが威圧的なこともあり批判的なように聞こえますが、言っていることそのものはぐだへの激励のようにも受け取れます。
 またPV中でソロモンは、嵐の中でもがくぐだのことを彼岸から見届けるとも言っており、『逆光』歌詞の解釈とも一致します。

 ただこの部分については本編中キリシュタリアがぐだの理解者として描かれたこともあり、あまり誰かというのは特定していないのかもしれません。

 

 後期主題歌も発表され、『逆光』に関わる物語は5章までと考えると、おおよその情報は出揃ったとは思います。ただ、きのこ曰く「最後に意味がわかる」らしいので、ラスサビあたりの照応が今後本編で描かれるのかなとも思います。

 

終わりに

 この考察はオリュンポスが実装された直後くらいに書き始めたんですが、アニメやVTuberの配信を見たりゲームをやっている間に後期主題歌どころか5.5章まで配信されてしまって、ついには年が明けてしまったのでこれはいかんと書き切りました。

 歌詞の解釈や本編を絡めた考察について、これを読んだマスター諸氏においては言いたいこともあるかと思いますが、自分としてはこれが一番しっくり来ると思っています(とりわけ2番歌詞の「人は生まれながら~ラクだった」あたりの解釈はこれしかないと思います)。

 2部後期主題歌「躍動」は聞いてみたけどまだまだわからない(1番と2番でメロディが違うから違う人物の視点なのかな?)ので、また情報が出揃ってぼんやりとでも見えてきたらまた書くかもしれないです。

 最後までお読みくださりありがとうございました。